病気のはなし

多発性硬化症が発覚するまでの経緯その⑥確定診断

脳神経外科から神経内科へと引っ越し、また検査の日々が始まった。

検査で探りたいのは多発性硬化症なのか視神経脊髄炎なのかの見極めをしたいとのこと。

詳しい説明はされなかった(聞いてなかっただけかもしれない)が、とりあえず検査をこなしていった。

髄液検査やMRI撮影。視力検査や、手足の感覚や運動障害の有無の検査。

髄液検査は腰に注射針を刺して髄液を採取するんだけど、担当したのが新人の先生らしく、かなり時間がかかったのを覚えてる。

腰へ針を刺すというだけで結構怖かったのだけど、慣れていない手付きでされると余計に怖い。

指導医らしい先生も一緒に作業していたんだけど、結構な時間がかかった。

ベッドに横向きに寝て、足を抱える感じの状態で刺されるんだけど、この体勢が結構きつい。

今まで受けてきた検査の中で一番しんどかったかもしれない。

慣れている先生なら短時間で終わるみたいなのでなんてこと無いのかもしれないけど、まぁかなりの時間がかかった。

色んな検査をしたが、結局はこの髄液検査の結果が出るまでは確定診断は出来ないらしい。

自分が入院していた大学病院ではこの検査が出来ないらしく、どこか東北の病院に採取した髄液を送って検査してもらうということだった。

その髄液検査の結果が出るまでの約10日間は検査らしい検査はなく、ただただ暇な時間を過ごしていた。

そして、検査の結果が届いたその日に多発性硬化症(MS)であると確定診断が下された。

それから治療が始まる。最初にしたのは点滴だった。

大量のステロイドを3日間に渡って点滴するステロイドパルス療法というものだった。

その効果は魔法みたいで、1日めを終えた時に、ハッキリと感覚が戻っていったのを覚えている。

大げさでもなんでもなく涙がでた。

3日めを終えると感覚は元の6割くらいまで戻ってきていて、このまま感覚が戻るといいななんて考えていた。

ステロイドパルス療法が終わると、次に始まるのはステロイドを内服する治療だ。

なんでもステロイドによる治療は、急にステロイドを断つとよくないらしく、点滴が終わった後は内服のステロイドに切り替えて毎日少しずつ量を減らしていくらしい。

そして、一定の量に減ったところで退院。

結局、退院の日まで感覚が完璧に戻ることは一度もなかった。

ステロイドパルスの点滴が終わった直後から同じ。元の感覚の6割戻ったかな?ってくらいで横ばいのまま退院。

これからは通院が始まると説明を受け、自宅に戻った。

結局、最初の脳神経外科から大学病院、入院、脳神経外科病棟、神経内科病棟、確定診断、帰宅まで約4ヶ月。

入院期間は約3ヶ月に及んだ。年末年始と重なってしまったということもあって結構な期間かかったと思う。

脳神経外科病棟での期間が約1ヶ月と長く、挙句の果てには脳神経外科の範囲ではないと神経内科へ回されたことに対して、当初はムカついていたが、脳神経外科の主治医が徹底的に検査をしてくれたことを今では感謝している。




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